ゆめカフェができるまで           

今度はおぬしが夢を叶える番じゃ

答えの出ないものはひとまずみんな袋に入れ、その袋を背負って歩きつづける。そうやって、前に進んでいるうちに袋も少しずつ軽くなっていくだろう    クリストフ・アンドレ(精神科医)

『はじめてのマインドフルネス 26枚の名画に学ぶ幸せに生きる方法』クリストフ・アンドレ著、坂田雪子監訳、繁松緑翻訳(紀伊國屋書店

 

 2018年8月15日、深夜2時半。家族が寝静まったリビングで、放心状態で座っていた。もうどれだけ泣いたか分からない。心がもみくちゃになって、ぼろ雑巾のように転がっていた。だから、あれほど注意深く避けていたのに、うっかり手にとってしまった。今晩はきっと眠れないし、明日は仕事にならないだろう。

 小説を読んだくらいで、そんな大げさな、と家族は言う。でも、物書きのサガか、たくましすぎる想像力のおかげで、現実と物語の境目が分からなくなってしまう。波乱万丈の小説を読むとその渦中にいるかのように疲労困憊するし、悲しいニュースを見ると、3日は寝込む。

 日常生活に大きすぎる支障をきたすので、小説、映画、ニュースには極力触れないようにしていた。なのに今日に限って。一日の仕事が終わりホッと椅子に座った午後8時、目の前にあった『にじいろガーデン』小川糸著(集英社)を開いてしまったのだ。

 そこからはもう、手に磁石でもついているかのように離れられず、全320ページの分厚い本を一気に読了した。そして心底読んだことを後悔した。もっともイヤなパターンの終わり方だ。

 とにかく理不尽なのだ。こんなに懸命に生きて、心がやさしくて、自分が折れるほど人のために尽くしているのに、なぜこんな不幸な運命で終わるのか。もう理不尽で、理不尽で、理不尽で、このやり場のない気持ちを、どこにぶつければいいのだろう。

 ハッピーエンドにすればよかったのにと作者に悪態をつき、どうして本をテーブルの上に出しっぱなしにしてるのよ、と夫に八つ当たりしてみる。忘れよう、忘れようにも頭から離れない、こんなときはいつものバイブルを開く。

 

--答えの出ないものはひとまずみんな袋に入れ、その袋を背負って歩きつづける。そうやって、前に進んでいるうちに袋も少しずつ軽くなっていくだろうーー

 

 つまりこういうことだ。理不尽なことが起こったとき、「なぜ?どうして?」とひたすら答えを求めたくなる。でも、いくら問いかけても答えが出ないこともある。考えてもネガティブな思考が増殖するばかりだし、立ちすくんだまま一歩も前に進めない。

 そんなときは、無理に答えを求めようとするのではなく、「起こったことを受け入れる」。人生にはそういうことも起こりうる。ただ事実をそのまま受け入れる。

 そのうえで、本書では「とにかく手や足を動かす」ことをすすめている。

 

--ただ身体を動かすだけでもいいのだ。歩く、庭いじりをする、片づけものをする、日曜大工をする。役に立っているのかわからなくても、動いてさえいれば少しずつ前に進んでいける。身体を動かして作業に集中していれば、だめだ、私にはできないという思考がやってきても巻き込まれることなく、またあの思考がやってきたと客観的に見ることができるだろうーー

 

 不安や疑問を「とりあえず袋に入れて」前に進んでいるうちに、いつのまにか「袋が軽くなっている」。ストンと腑に落ちた。嵐のような感情を手放して、片付けに没頭する。

 すると、ストンともう一度腑に落ちた。

 ーー諸刃の刃ーー

 人にやさしくて尽くすのはいいことだけど、行き過ぎると自分を犠牲にする。どんな長所も使い方をあやまれば、自分を傷つける刃になる。『にじいろガーデン』の結末を、あえてこの形にすることで、作者はそう言いたかったのではないだろうか。

 もうどっと疲れた。波乱万丈は、リアルな生活だけで十分。やっぱり小説を読むのはやめておきたい。