文章を書く、という原点に戻る①~「夢をかなえるパネル」をつくる~
2019年10月1日
原画展に掲載する歴史パネルの原稿が間に合わず、ドタバタで用意した『ふしぎにゃトンネル誕生秘話』。このブログの文章を抜粋したものだ。パネル10枚分の長い文だけど、思いのほか読んでもらえた。
訪れた方が、パネルの前に、長いことじっと立って読んでいる。その背中を見ながら、じわじわと、うれしさと感動がこみあげてきた。
20年ライターをナリワイとしてきたのだから、自分の文章を読んでもらうことは、そんなに珍しいことではない。だけど、よく考えてみると、こうして直に読者の姿を見たことは、今までなかった。
さらに、今回のパネルに書いたのは、有名人を取材して書いたものではなく、絵本の制作過程を記したものである。一市民の個人的な内容を読んでもらえるのかという不安もあった。
だからこそ、熱心に読んでもらえたことが、かけよって握手をしたいくらい、ありがたかった。
「パネルの文章が良かったよ」「この内容で、講演してほしい」
知人からいただいた言葉から、ひとつの思いが浮かんだ。
そうだ。私の原点は、原稿を書くこと。
原稿を書くことに軸を戻そう。
ここ2年は、絵本事業に集中して取り組んだ。今回の原画展は、その集大成とも言える。『ゆめみがさきのふしぎにゃトンネル』は、大型絵本、紙芝居、ハードカバー版、A3絵本、駅の案内ステッカー、地域マップと、さまざまななカタチになった。さらに、朗読コンサートや原画展を開いて、絵本を広く知ってもらう機会をつくった。冬には、絵本をもとにしたミュージカルを上演する予定だ。大切な友人、あずの「絵本をつくりたい」という夢を、カタチにすることができた。
でも、絵本作家になるのはあずの夢。私自身は、絵本作家になりたいわけではない。そろそろ自分のことをちゃんと考えたいと、薄々感じ始めていた。パネルの前に立つ人の背中を眺めながら、次の方向性がはっきり見えた。やっぱり私には文章しかないと。
原画展には、絵本を描きたいという人たちが集まった。あずの作品を見て、興味を持ってくれたのだ。ここまでカタチにすれば、この先は、絵本部門を絵本を描きたい人たちにまかせても、転がっていくだろう。私は原点に戻る。
とはいっても、3号が小学校にあがるまでの1年半は、雑誌の仕事は難しい。だから、文章を書く舞台は、あくまでこのブログだ。
今まで、ブログのことは身内以外、だれにも知らせていなかったけれど、広く公開する方向へ舵を切る。
「夢をかなえるパネル」をつくる
ブログをひっそり書いていても、だれにも見てもらえないけれど、今回の原画展で、公開する方法を見つけた。それは、ブログの文章を抜粋してパネルにする方法。パネルには、ブログのQRコードを掲載する。こうすれば、ネット以外の場でブログのことを知ってもらえる。しかも、今回使用したシールつきパネル。A3版が100均で手に入るから、コピー代と合わせても、110円。費用がかからないのもメリットだ。
パネルを展示する場所は、原画展だけではなく、動物公園や商店街。動物園の園長さんや商店街の会長さんの夢を聞いたから、その夢を応援する文章をブログの中から抜粋する。
場をつくっている人の「夢をかなえるパネル」をつくりたい。
「ご縁」を大切にする
2019.10.2
「区を盛り上げる活動をしている人は、みんな市にいっちゃうんだよね……」
原画展に訪れた区の関係者が、こうつぶやいた。
「浮気しないで、区のことを、今後も引き続きよろしくお願いしますね」
なるほど、多くの人は、よりスケールの大きい舞台を求めて動くということか。
冒頭の言葉を聞いて、私は、多くの人とは、逆の方向へ向かったのだな、と思った。
発行部数30万部を超える雑誌と、全国紙の仕事をわざわざ断って、幸区の仕事を引き受けた。
直接のきっかけは病児保育の問題で、そうせざるを得ない事情があったのだけど、話すと長くなるので(下参照)、それはさておき。
あらためて考えてみると、私の中では、いわゆる「(スケールが)大きい仕事」「小さい仕事」といったような感覚が、まるでない。
強いて挙げるなら、私にとって大きい仕事とは、「ご縁があるもの」。たまたま目の前に転がってきた仕事は、スケールの大小に関わらず、「大きい仕事」である。
だって、そうですよね。世の中には、ごまんと仕事があるのに、その中で、たまたま目の前にころがってくるものって、ものすごく大きなご縁を感じる。
最初は何につながるのか分からないけれど、きっと今の私に必要なこと。「今はこれをやりなさい」ってことなんだ、と受け取っている。だから、全力で、全身全霊で取り組む。
仕事だけではなくて、人に関してもそう。経歴とか、技術とか、そういうことに関係なく、目の前にいる人に最大限コミットする。あずなんて、絵を見る前に、絵を描くことが好きってだけで、スカウトしちゃったもん。だって、絵本をつくろうって思ったときに、絵本作家になりたいって人が目の前にいるんだから、これはもう、ご縁と言わずしてなんでしょう。
人とのご縁と言えば、家族なんて、最高に大きなご縁を感じる。星の数ほどいる人たちの中から、たまたまこうして、ひとつ屋根の下にいるって、スゴイことじゃないですか。だから、この人たちが、この先どんなことをやらかそうと、いっしょに歩いて行く。そう家族にも伝えてある。
話がちょっと横道にそれたが、仕事のハナシに戻る。
これが不思議なものでね。一般的にいう「小さな仕事」が、全身全霊で取り組むことで、「大きな仕事」に化けるんだ。
「大きな仕事」っていうのは、競争相手が多くて、その他大勢に埋没しちゃうけれど、「小さな仕事」は、競争相手が少ないうえに、自由度が高い。自分がワクワクする方向を追求できて、オリジナリティを発揮できる。なんだかおもしろそうと参加する人が増えて、いつのまにか「大きな仕事」に化けるというワケ。
私の経歴がおもしろいと言ってくれる人がたまにいるのだけど、いつもこんな調子でやってきて、自然に人生が展開していった。
雑誌の仕事から離れると挨拶をして、今後の活動について話したとき、お世話になった編集者たちは、一様に大きく首をかしげた。20年来の友人の編集者は、「ここまでキャリアを積んできた仕事をやめて、いったい何をしようというのか……」と、心から心配してくれた。
だけど、いいも悪いもない。そうするしか道がなかったのだから。これからも私は、目の前にあらわれたご縁を大切にすること。ワクワクする方向へ向かうことだけ考える。そうすれば、今は想像だにしない新たな道へ続いていると信じている。
原画展の次は、2月1日の河原町保育園で行われるミュージカル。近所の子どもたちが集まる小さな小さなイベントだけど、これまた脚本の制作から、本気度100%で取り組んでいる。「そんなに手をかけなくても……」と周囲に半ば呆れられつつ、本気でやらないと、何より私自身がおもしろくない。どうか温かく見守っていただきたい。
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〈メモ〉
私が雑誌の仕事をやめざるえなかった理由
いろいろあるけれど、一番の引き金になったのは、病児保育の問題。取材や撮影、打ち合わせの日に娘の病欠が重なることが多い。ある日のこと、いつものように病児保育はキャンセル待ち。腹痛で寝込んでいる息子に、携帯をにぎらせ、3歳の娘の看病をお願いして出かけた。他に誰も頼る人がいなくて、そうせざるを得なかった。携帯をにぎらせたとき「マジか…………」と言った息子の言葉が、今でも忘れられない。
同じ時期、娘が結膜炎につづいて風邪をひき、一ヶ月近く保育園に行けなかった。ストレスで眠れなくなり、パソコンを開こうとすると涙が出る。もうこれ以上続けるのは限界だった。
脚本をつくる~〈わ〉をキーワードにしたミュージカル~
2019年10月2日(木)
2月1日に予定されている絵本をもとにしたミュージカル。音楽と歌とお芝居を組み合わせたステージをつくる。最初は、劇団に絵本を送って、絵本のストーリーをそのまま劇にしてもらおうと考えていた。
プロデューサーIさんに、ミュージカルのことを話したところ、「絵本のストーリーをそのまま劇にするのではなく、歴史の背景を盛り込んだ脚本を作るといい」とアドバイスをいただいた。
「きゃ、きゃくほん……!? 誰が書くんですか」
「そりゃあ、まさちゃんが書くに決まってるでしょう。伝えたいことを、セリフにして書けばいいんだよ」
ああ思い出した。絵本のときだって、「絵本のストーリーなんて、キャラクター決めて、登場しました、次こうなりました、次こうなりましたって、つなげばいいんですよ」とだれかに言われて、真に受けて、エラいめにあったのだ。
どなたか脚本書きたい人いませんか~、と声をかけてみたものの、案の定、手をあげる人はいない。「いいですね!」「おもしろそうですね!」とは、みんな言ってくれるんだけど……。
残るは自分しかいない。とりあえず、図書館で「シナリオの書き方」なる本を数冊かりてきた。しかし、模範例をいくつ読んだって、なにひとつ、言葉が浮かばない。
伝えたいテーマは決まっている。
「夢をかなえるみんなの〈わ〉」
困ったのは、このテーマを、どうやったら脚本に落とし込めるのか。歴史のハナシを、どうやって「夢をかなえるみんなの〈わ〉」につなげる???
とりあえず書き始めてみたけれど、歴史を順番に追うだけでは、やはり、まったくテーマとかけ離れている。冬の上演に間に合わせるためには、もう時間がない。
もはやお家芸となりましたまさ出版テンパリ劇場、どうにもこうにも展開に行き詰まって、もう一度、Iさんに相談した。
「あれ、もう答えが出てるじゃん。自分で、答えを言ってるよ。夢をかなえるみんなの〈わ〉、なんでしょう。
絵本の1見開きごとに、〈わ〉を入れていくんだよ。たとえば、古墳時代だったら、最初は、人がたくさん集められて、どうしてオレたちがこんなことしなきゃいけないんだ、めんどうだなあと言っていたけど、ヤマトタケルが声をかけて、みんなが〈わ〉になって、力を合わせたら大きなお墓が完成した。
工場の時代は利益はたくさんできたけど、〈和〉の心を失って自然との〈調和〉がくずれて、公害が起こった。事実は知らないけど、物語だからね、つくっていいんだよ。
ことさら〈わ〉を強調することはなくて、最後に観客が、ああ〈わ〉がテーマだったんだな、と気がつけばいい。
〈わ〉が大切って、いま世界共通のテーマでしょう。自分のことばっかりでエゴを通そうとするから、〈わ〉がくずれているから、うまくいかない。人と人も、国と国も、人と自然も」
なるほど……!! 〈わ〉をキーワードにして、歴史を描けばいいんだ。これで、絵本のストーリーと、伝えたいテーマがつながった。
そういえば、思い出した。夢見ヶ崎動物公園は、工場だらけの街に、緑を取り入れようという願いをこめて作られたと聞いた。動物公園ができてから、かつて、いたるところで聞こえていた野鳥のさえずりが戻ってきて、街は自然との〈調和〉を取り戻した--。
「そのエピソードいいじゃない。そのシーンを最後のフィナーレにもってくるといいかもね」
ミュージカルを上演するサルサ劇団は、以前のイベントで、手をつないで〈わ〉になって踊るダンスを披露していた。観客を巻き込んだ参加型ミュージカル。
〈わ〉をキーワードにしたミュージカル。
目の前の視界が、少しずつ広がってきた。
絵本プロジェクトのテーマ「夢をかなえるみんなの〈わ〉」
地域をつなぐプロデューサーIさんが、ぽつりとつぶやいた。
「たくさん団体があって、それぞれが一生懸命、地域を盛り上げる活動をしている。全体を見ると、あっちでも、こっちでも、同じような活動をしているんだよね。
だったら、いっしょに手を組んでやれば、もっと大きなことができるのにって、いつも思うんだ。だけど、みんな目の前の活動にいっぱいいっぱいになっちゃって、周りを見渡す余裕がない。
他と手を組むなんて、そんな面倒くさいこと、これ以上手間を増やすのはいやだってなっちゃう。
だから、いつもいっしょでなくてもいい。一回だけでも、いっしょに活動してみませんかって声をかけてるんだ。
そんなふうに、広い目で見渡して、団体や人を結びつけるプロデューサーの役割をしたいと思っている」
なるほど。うーんとうなってしまった。どこの地域でも同じなんだ。それぞれの活動が、バラバラに散らばっている。ひとつの目標に向かってゆるやかにつながることができれば、どんなに大きなパワーになるだろう。
川崎の歴史をテーマにした絵本を作って感じたこと。それぞれの時代で、大きなことを成し遂げてきた。工業地帯として一時代を築き、その公害から立ち直ったことだってそう。関東随一の大きな古墳をつくりあげたことだってそう。将軍さまの米どころとして、重要な役割を果たしていたときだってそう。それは、地域がひとつの輪になって、ひとつの目標に向かって力を出し合ったからこそ、できたこと。
夢をかなえるために、輪になること。みんなが手をつないで輪になること。それを絵本を通じて伝えたい。
以前、地域の交流会に出席したときのこと。質問タイムの発言や雰囲気から、な~んとなくだけど、他の団体の活動を応援するのではなく批判する空気を感じた。
だから、ひとつにまとまると言葉で言うのは簡単だけど、一筋縄ではいかないだろうな、とも思う。
でも、だからこそ、この絵本プロジェクトでできることはないか。
みんなが手をつないで輪になる。よし決めた。絵本プロジェクトのテーマはこれでいこう。
「夢をかなえるみんなの〈わ〉」
ちょうど、今週土曜日10月5日が、3号の保育園の運動会。そのテーマが、なんと「和(わ)」。運動会のプログラムの表紙に書かれた「和」の字を見ながら、ひらめいた。日本には古くから「和の心」を重んじる伝統があった。辞書で調べると、意味はこうだ。
☆goo辞書より
和(わ)の意味
1仲良くすること。互いに相手を大切にし、協力し合う関係にあること。「人の和」「家族の和」
2仲直りすること。争いをやめること。「和を結ぶ」
3調和がとれていること。
うん。絵本を通じて伝えたいメッセージにどんぴしゃ。
絵本プロジェクトのテーマ「わ」は、和と輪、両方を意味する。だから、「わ」というひらがなにしよう。
夢をかなえるワークショップ大集合「〈参加型〉原画展」
夢をかなえるワークショップ大集合
「〈参加型〉原画展」
2019.9.16に、中原市民館で「コスギアート ラ ファブリカ~誰でもできる! 主役はキミだ!~」というワークショップ形式の「〈参加型〉アートフェス」が開かれた。お客さんが受け身になる従来の「趣味を披露する発表会」ではなく、参加型というところがgood。
このイベントから思いついたのが、「〈参加型〉原画展」。
今回は、その試みのひとつとして、夢をかなえるワークショップ「絵本作家になろう」を開いた。
さらに、これを区民の方たちの活動につなげる。つまり、音楽やダンス、紙芝居、アートの分野で活動されている方に、「夢をかなえる」をテーマにしたワークショップを開いていただく。たとえば、歌なら「ゴスペル歌手になろう」、劇団なら「俳優になろう」、ダンスなら「ダンサーデビューしよう」、動物保護のグループなら「動物博士になろう」、シネマなら「夢をかなえる映画〈SING〉を上映」etc.……。
「夢をかなえる」というテーマにちなんだワークショップをひらく。見るだけの原画展ではなく、区民も、訪れた人も、みんなが参加する。主役はキミだ! の原画展にすることが、次のステップだ。
原画展3日目/この絵本で、何を伝えたいのか
2019年9月23日(月)
原画展3日目
「地域の歴史をテーマにした絵本をつくって、
この絵本を通じて一番伝えたいことは何ですか?」
テレビ局で働いていたときの恩師Iさんが、原画展を見るために、遠方からかけつけてくれた。会場をさらっと見て、私にこうたずねた。「この絵本で、何を伝えたいの?」と。
伝えたいこと……、と聞かれてもすぐには答えられない。
とっさに「地域のことを知ることで自分の住む街に愛着を深めてほしい……」というようなことを答えたが、なんとなくしっくりこない。なんだか上っ面の言葉という感じ。
家に帰ってもずっと心にひっかかっていた。地域の歴史を描いて、わたしは何を伝えたいのか。
そういえば、20年前、ニュースの原稿を書いたとき、いつも同じ質問をされた。覚えているのは、小さな過疎の村のお祭り。同じように、「何を伝えたいのか」と問われた。答えにつまった。
「○月△日、A村でこんなお祭りがあって、神輿が出て、○人の人が訪れてにぎわいました……って原稿に書きましたけど、ほかに何か足りませんか」。
すると、Iさんは、ぜんぜん違うという感じで首を振った。「それは単なる事実だ。その事実から、あなたが伝えたいのは何か」。
もう一度、取材してきた内容を振り返った。ここは過疎の村。かつては炭鉱でにぎわったが、今は若者たちがほとんど都会に出て行ってお年寄りばかりになった。祭りは、年に一度、親戚一同が村に集まる日。都会に出た若者たちも村に戻ってきて、神輿をかつぐ。村の人たちにとって、かつてのにぎわいを取り戻す、大切な1日なのだ。
「そう、それが伝えたいんだろ。だったら、そこを中心に書いて、強調しないと。今の原稿は、事実を順番に並べて説明しているだけだ」
では、『ゆめみがさきのふしぎにゃトンネル』で伝えたいことは何か。原画展が終わってからも、この質問がずっと頭の中をぐるぐるまわっていた。
古墳の時代、田んぼの時代、工業化の時代、公害から立ち直る時代、そして、高層マンションが立ち並ぶ現代へ……。それぞれの時代で、地域の人たちが一丸となって大きなことを成し遂げてきた。
バトンタッチを受けた私たちは、次は、どんな街をつくっていきたいのか。この街で、どんな夢をかなえたいのか。それをみんなで考えませんか?
そうだ。過去を振り返って、へえ~そうなんだ、で終わらない。過去を振り返ることで、いま、この瞬間を生きている自分と家族と街のことを考えたい。Iさんが言いたかったことが、見えてきた。
「〈夢がかなう木〉を大切にしたほうがいいよ」
Iさんは、こんなアドバイスをくださった。
柱のところに、木が貼ってあったでしょ。花の付箋にみんなの夢を書いてもらうやつ。あれが全然目立ってなかった。あの木をもっとどーんと大きくして、一番目立つところに貼るんだよ。大きな壁とか窓を一面全部使うようなイメージ。そして、「夢がかなう街、夢見ヶ崎」とか、そんなタイトルを大きくどーんと目立つように掲示する。そして、「どんな街にしたいですか?」っていう夢を付箋に書いて貼ってもらう。
たしかに、原画展の会場で、「夢をかなえる木」は、目立たない柱の陰にひっそりと展示していた。動物園の園長さんやGABUさんたちに書いてもらった、夢を語るアンケートも、アンケート用紙を貼っただけ。
一番伝えたいことは、「一番大きいスペース」を使って、「一番目立つところ」に配置する。雑誌の誌面でも、原画展の会場でも、基本は同じなのだ。
「夢をかなえる木」「夢をかなえるフォトスペース」「夢をかなえるワークショップ~絵本作家になろう~」は、もっと目立つ看板をつくる。
夢をかなえるアンケートは、パネルにして引き延ばす