56年前の東京オリンピック 2018年12月21日(金)
***************************************
2018年12月21日(金)
うっすらと記憶を辿ると次のようになります。
新聞記事にアトラクションには3組が出場、おじさんは2番目とあります。
大筒を肩に担いで後ろを向いている私の写真の向こうは恐らく1番目の人たちの演技が始まったところです。随分大勢います。ざっと10数人はいるでしょう。
私たちは次の出番を待っているところです。
それが終わりアナウンスがあって、次に2名でひっそりと登場しておじさんが演技の段取りをしている場面です。恐らく筒の中に火薬を詰め、さらしを腕に巻き付け発射の瞬間手から筒が離れないよう周到な準備をしている筈です。
後ろで、ただ「ボーッとしてんじゃねーよ」とチコちゃんに言われそうな格好をしている人は実はとても重要な任務を負っているのです。
何枚かの写真に写っている私が右手か左手に持っているものに気付きましたでしょうか。
そうです、これなくしては火薬が爆発しない大事なもの「火縄」なのです。
ですから、おじさんの準備が終わったらすぐに火縄を手渡しそこに着火するタイミングを待っているのです。
いよいよ準備が整い、おじさんが「火縄!」「はい!」「よし、着火!」「はい!」この後はやや説明がいります。
着火させる火打石などはありませんから、私が懐から100円ライターをそっと取り出し石をぶつけるポーズをしながら点火したのです。
するとおじさん「よし!」
私は数メートル下がって片膝を立て神妙に見守ります。やったことがなくて要領が全然分かりませんが多分こんなもんだろうと。
すると10秒くらい経った頃でしょうか、おじさんがグッと腰を落として撃つ態勢に入った瞬間、ドーンという物凄い音ともうもうと飛び出す火煙に約2000人の選手や見物客はビックリ。(一部新聞記事を参照)
おじさんは一人で三つの型で三発を撃ってます。新聞には二人でと書いてますが、一人は付添い人です。
実はこの時、大変なことが起きたのです。前にお話ししましたでしょうか。多分最後の三発目だったと思うのですが。
同じように数メートル下がって控えていたら、撃った瞬間衝撃が大き過ぎておじさんの体が後ろに吹き飛ばされたのです。大筒を抱えたまま尻餅をついて倒れてしまったのです。
ビックリしました。支えるのも間に合わず抱きかかえて「大丈夫ですか?」とお聞きしたら「大丈夫だ」と言われて立ち上がり、観客に礼をされ演技を終了しました。
ただ30キロもある重たい「抱え筒」ですからきっとどこか痛められたと思います。
◎◎ ここからは別な話ですが・・・。こうして当時のオリンピックのことを振り返っていると、勇造おじさんがどのようないきさつでまた、どなたの紹介であの時あの場所に呼ばれて抱え筒を披露したのか気になります。
ということは、今度の2020年のオリンピックで同じように朝倉市秋月の保存会の方々が披露できる可能性があるのではないかと思うのですがどうでしょうか。
大変おこがましい話で恐縮です。
もうすでに既に運動をしているかもしれませんね。話がもう具体化しているのかも。
ただ、もしまだだとしたらお嬢さんから、保存会、市、テレビ局、新聞記事にある黒田藩の当時かかわった人などに運動してはどうかなと思います。
黒田藩は記事にかなり詳しく名前まで出ています。
2020のオリンピック・パラリンピックは陸上自衛隊朝霞訓練場がライフル射撃とクレー射撃の舞台です。今度もアトラクションは何かやるでしょう。
おじさんが56年前のオリンピックで披露したアトラクションが再現できるなら嬉しいことです。
ネットで調べると、1964年のことも随分沢山出てきます。
麻生さんはクレー射撃の元オリンピック代表ですし。
話が大き過ぎるのでこれから先は相談していただけますか。
ボツにしていただいて結構です。
では、この辺で。
追伸
テレビ番組で、お送りした何枚かの写真を使っていただきお役に立てたことをうれしく思います。
「東京オリンピック」の看板の前の写真。左端のおじさんはちょうど4人並んでシャッターを切る瞬間偶々そばを通りかかった人で、ツツーッとすり寄ってきてチャッカリ収まった全く面識のない面白い人物です。立ち話で南米出身と名乗ってました。
シャッターを切った人は誰でしょうか。ここに写っていない私のオヤジの正造さんです。