ゆめカフェができるまで           

今度はおぬしが夢を叶える番じゃ

お寺=日本古来のコミュニティカフェ

髙願寺のご住職とお話しして、

とても心に残った言葉があります。

 

「お寺は風景の一部でしかなかった」

宗教団体に入って、犯罪を犯した人が、
言った言葉だそうです。

 

なぜ、その宗教だったのか。
捜査官に問われて、お寺は風景の一部でしかなかったと。
つまり、それくらい、存在感が薄かった。

「これは、私たちお寺の者としては、
そうとうショックが大きかったのです」
住職さんは、そうおっしゃいました。

 

お寺というものは、その昔、地域の中でもっと存在感が大きかった。
困ったとき、悩んだとき、地域の人たちのよりどころになっていた。

そうです。

お寺は、日本古来の「元祖・コミュニティカフェ」と言えるような存在だったのです。

 

正直に言うと。
私の中でも、お寺はお正月に初詣や法事のときいくところであり、
ふだんは風景の一部という感じでした。

 

でも、なぜかお寺の雰囲気は大好きで。
無駄が一切ない、余計なものをそぎ落としたシンプルな空間。
何より木のぬくもりがある建物が好き。

どうしてこんなに惹かれるのだろうというくらい
以前からお寺が気になるのです。

 

この場所が、もう一度
地域のコミュニティの中心となる存在になればいいな。


いつもふらっといけるような、
暮らしの中にいつもあるような、
そんな場所になるといいな。

住職さんのお話を聞いて、
私の中にリアルなイメージがわいてきました。